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大和郡山について その2「私と大和郡山」

そして戦後の発展期を迎えます。私が生まれた1944年にはまだ「郡山町」で、いくつかの村と合併して「大和郡山市」になったのは1954年。この時私は10歳で、一人の人間として精神基盤ができつつあり、さまざまな物事を吸収して成長しはじめた時期でした。日本もまさに高度成長期であり、それと軌を一にして大和郡山市にも浄水場をはじめインフラの整備がさかんに行われました。
1970年、私は奈良県立医科大学を卒業して医師免状を取得しました。この年の大和郡山市のスローガンは「公害のない緑豊かな田園文化都市」。つまり経済成長一辺倒の社会から、福祉や公害、老人医療や心の問題に世の中の関心が向きはじめた時でした。こういう時に医者としてのスタートを切ったのですから、その後の私の医療生活のあり方も、スポーツや自然、人の心を大切にするように運命づけられていたと思います。「スポーツ」では、1984年に奈良県でわかくさ国体が開催された三年後の1987年に、スポーツ医の認定を受けました。「自然」では、矢田寺のあじさい、松尾寺のバラとまではいきませんが、病院の庭にせいいっぱいの自然を取り込んでいます。

「老人医療」では、次々と建設される市の老人福祉センター、特別養護老人ホーム、シルバー人材センターなどに負けないように、1995年に介護老人保健施設「幸寿苑」、老人介護支援センターを、1998年には訪問看護ステーション「なのはな」を設立しました。本当に私の人生と医療生活は、この愛する大和郡山の発展とシンクロしているように思えてなりません。

「大和郡山」は素晴らしい土地です。もし来られる機会がありましたら、郡山城跡あたりの低い家並みを縫って、細い路地を抜け、格子のはまった家々に歴史のかおりを感じていただき、野辺に咲く花々にも、微笑みかけてやってください。


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